2019年 いだてん

【いだてん】第20回「恋の片道切符」あらすじネタバレ~アントワープオリンピックへ~

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金栗四三の発案によって行われた第1回箱根駅伝。
もともとはアメリカ横断マラソンの予選会だったんですね!

それにして金栗さんのスケールが凄い!
さすがに世界を見てきた数少ない選手の一人であります。

 

さて、今回は8年ぶり念願のオリンピックへ。

1920年に開かれたアントワープオリンピックの回です!
四三君のリベンジなるでしょうか!?

 

その前に、マラソン競技入れてもらわないとね・・・

 

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大河ドラマ「いだてん」放送情報

 

「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~」

第20回「恋の片道切符」5月26日放送

  • 放送:2019年1月6日より(全47回)
    ◆放送◆
    日曜日【総合】夜8時【BSプレミアム】午後6時【BS4K】午前9時
    ◆再放送◆
    土曜日【総合】午後1時5分日曜日【BS4K】午前8時
  • 作:宮藤官九郎
  • 音楽大友良英

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第20回「恋の片道切符」あらすじ(ネタバレ注意!)

マラソン競技の復活

金栗四三が発案した箱根駅伝、
第1回は大成功に終わりました。

あれほど渋い顔を見せていた岸(岩松了)も、転倒して2着になった選手を必死で応援しています。

 

そして岸は、このような感動的な競技は、絶対オリンピックでやるべきだと言います。

嘉納治五郎(役所広司)はIOC会長のクーベルタンに手紙を書き、マラソン競技の復活を懇します。

 

そのかいあって、マラソンはオリンピックの正式種目に復活したのです。

この手紙がなければ、無謀で危険なスポーツとしてマラソンは永久に葬り去られたかもしれません。

 

十種競技選手、野口源三郎


体協では、オリンピックに出場する選手の選抜会議が行われていました。

会議の前に、治五郎から嬉しい報告がありました。
それは会計監督の岸の手腕により、体協から渡航費がでることになったというのです。

一同が大喜びする中、永井(杉本哲太)は眉間にシワを寄せます。

 

岸によると、今回のアントワープオリンピック、選手15名、監督1名分の渡航費が出ると言います。

「監督」という言葉に、反応する可児(古舘寛治)
ストックホルムオリンピックは残念ながら監督として選出されませんでしたが今回はどうか・・・
可児は密かに期待しています。

 

マラソン枠は四三を含め4名。
先日の箱根駅伝で良い成績を残した者、将来が期待される若い世代にオリンピックを経験させてやりたいと四三は言います。

 

その時、突然立ち上がった野口(永山絢斗)が、自分はデカスロンにエントリーすると言います。

デカスロンとは十種競技のこと。
100m
走幅跳
砲丸投
走高跳
400m
110m障害
円盤投
棒高跳
槍投
1500m

これら10種目の総合点を競うというものです。

野口は、四三がストックホルムオリンピックから帰国した際に持ち帰った道具によって、十種競技に目覚めたのだと言います。

 

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さらに、水泳はどうかという意見も上がります。
すると治五郎が言います。

「それは君、八松の内田正練で決まりだろう」

 

浜松の美濃部孝蔵は・・・

東京を離れた孝蔵(森山未来)は、浜松の勝鬨亭で高座に上がっていました。

ある日、ちいちゃんが尋ねます。

「ねえ孝ちゃん、いつまでこっちにいるつもりで?
うちはずっといてもらってもいいけど・・・」

孝蔵はどこにも行く当てがなく1年は東京に戻れないというと、ちいちゃんは嬉しそうに微笑みます。

 

さらにちいちゃんは、八百庄のまーちゃんを覚えているかと尋ねます。
まーちゃんこと田畑政治は18歳、春から帝大生になるのだと言います。

 

日本泳法で敵なし!?


浜名湖では、政治(原勇弥)が皆を集め、内田正練がオリンピック選手に決まったことを報告します。

「浜名湾の名に懸けて、欧米人をやっつけるぞ!」

内田の顔は自信でみなぎっています。

 

当時、日本人の泳ぎ方と言えば、日本泳法です。
いっさい顔をつけることなく、いかに静かに体力を消耗せずに泳ぐかというもの。

なんでも近頃、西洋の選手は「クロール」という泳法を習得しているそう。
しかし、クロールなんておそるるに足らないと政治は言います。

 

クロールをやってみせる内田。
顔を海水につけると、ほんの3~4回水をかいただけで息が続かずやめてしまいました。

 

これを見た政治は、欧米選手が全員クロールだったら敵などいないと言います。
内田も、俺の「片抜手一重伸(かたぬきてひとえのし)」に勝てる者はいないと自信満々です。

 

シマ、日本女子スポーツへの願い

大正9(1920)年春。

この日の早朝、シマ(杉咲花)は着物姿で走っています。
近頃シマは、人目につかない早朝のうちにランニングをしているのです。

 

下宿に近づくと、「ひやぁ~~~~~!」
という四三が冷水浴をしている声が聞こえます。

驚くシマ。
その後、走って来る四三と出会ってしまいます。

 

四三とシマは、ミルクホールで女子スポーツについて話をします。

オリンピック日本代表に女子選手はいない・・・

「男が走ると喝さいを浴びるのに、女は人目を気にしてこっそり走るしかないなんて」

シマは、それが理不尽に思えてならないといいます。

 

四三は持っていたドーナツを見せ、いずれ世の中が変われば、オリンピックの輪に女子の輪が加わるかもしれないと言います。

 

永井の決意と可児の期待

体協では、可児がアントワープオリンピックに引率する監督が誰になるのかと気にしています。

可児は永井に、監督の打診があったでしょ?
とカマをかけます。

「あった・・・が、断ったよ」

永井は、自分が言っても何一つ選手を指導できない、さらに自分のやり方はもう古いのだと言います。

さらに、自分の美学を貫くために体協を去ることを決意していました。

「ということは・・・」
可児の期待はますます高まります。

 

いざ、アントワープオリンピックへ!


大正9年5月。
アントワープに向かう日本選手団の壮行式が、横浜港で行われました。

 

選手団の主将は野口、監督は東大陸上部出身の弁護士・辰野保。

可児は納得行かない様子で、愚痴をいいながら万歳の輪に加わります。

 

今回はアメリカ回りで約5か月の遠征です。

まず選手13名と監督を乗せた船が横浜を出ると、太平洋を横断しサンフランシスコへ。
陸路でアメリカ大陸を横断し、ニューヨークで団長の治五郎とテニスの二選手と合流します。

そこからはOLYMPIC号という客船でロンドン経由でアントワープを目指すというルートです。

 

四三の決意とスヤの手紙の行方

四三は、熊本に手紙を出していました。

それは、2回目のオリンピックに出発したことの報告でした。

さらに、職場である独協中学に辞表を出したと書かれています。
何の相談もせずに決めたことで、さすがのスヤ(綾瀬はるか)も呆れています。

 

「俺にはオリンピックしかなか」

客船でスヤと子供の写真を見つめる四三。
その様子を、マラソン代表の茂木がいぶかしげに見ています。

 

スヤは四三に返信を書きます。

『立派なご覚悟、必ずやり遂げると信じています。
お義母さんも神棚に毎日手を合わせております。

私の心も、遥かアントワープに飛んでおります』

 

ところがこの手紙が付いたのは東京の播磨屋。
そこに居候している美川が、勝手に手紙を読み、転送しておくといいます。

 

トクヨの恋心・・・


その頃、東京高師では、トクヨ(寺島しのぶ)がシマを講師室に呼んでいました。

「私は胸が苦しいのです」

女子体育という使命に生きると誓ったはずが、今はその男性を思う気持ちが抑えられないのだとトクヨは言います。

その相手とは・・・野口!?

 

別の男性との見合い話が来ているものの、とても行く気持ちになれないと語るのです。

「私の代わりに、見合いに行っていただきたいのです」

そう言われて、シマは困惑します。

 

四三の告白

アントワープへ行く船では、茂木が四三の部屋を訪ねていました。

イギリス入国手続きのため、パスポートの回収にきたのです。

実は茂木にはもう一つ狙いがありました。
四三がパスポート入れに大切しまっている写真、この写真の人物は誰なのかを知りたいのです

ところが、写真は旅券からは抜き取られていました。

 

ロンドンでの手続きが済み、パスポートが返却されるとき事件は起こりました。

一人一人名前を呼ばれ、パスポートを受け取るのですが・・・

「イケベ・・・イケベ・・・イケベシソウ」

四三の名字が「金栗」ではなく「池部」と書かれていたのです。

 

驚く皆を前に、ついに四三は治五郎をはじめオリンピック選手団の面々に、自分が養子縁組をし妻子がいることを打ち明けます。

「金メダルば獲ってから、晴れて紹介するつもりでした」

すると、野口も続けて、自分も結婚したと報告します。

 

三島弥彦登場!


8月3日、一行はベルギーのアントワープに上陸。

そして14日には開会式の日を迎えました。

 

入場行進を前に日本選手団がロッカールームに集まていると、そこに三島弥彦(生田斗真)がやってきました。

「やあ、久しぶりだ韋駄天!」

弥彦は前年から、横浜正金銀行のロンドン支店に勤務していたのです。

四三と弥彦は、たった二人で出場しtストックホルムオリンピックを振り返り、感慨にふけるのでした。

 

四三不在の報告会


3か月後、東京高師ではオリンピックの報告会が開かれました。

会場にはスヤ実次(中村獅童)がいました。
二人は四三の姿を探しますが、その姿はどこにもありません。

 

壇上では主将の野口が前へ出て、団長の治五郎が欧州視察後に帰国するため、自分が代理で報告すると述べます。

テニスでは、シングルス・ダブルスともに銀メダルを獲得、
野口の十種競技は12人中、最下位・・・

 

そして、水泳の内田が、東京高師の斎藤ともども、予選敗退したと報告しました。
さらに内田は言います。

「世界の競泳界は今、クロール一色であります。
日本も早急にクロールを習得し、普及させなくてはならない」

この言葉に、会場に来ていた田畑政治は衝撃を受けます。

 

最後に野口は、マラソンの報告を始めました。

スタート後、四三は茂木達を励ましながらアントワープの街を走り、「自分のペースで!」と助言を残しペースを上げました。

しかしその後ペースダウン。
16位でゴールしました。
記録は2時間48分45秒でした。

「原因は・・・やはり8年間の無理がたたったのではないかと」

 

そう語る野口に向かって、トクヨから厳しい質問が飛びます。

「嘉納団長の会見はいつ開かれますか?
今回の惨敗、会長の責任を問う声もあります」

一度は廃止が決まっていたマラソンを正式種目に加えてもらったあげく、四三は無様に負けた・・・。
国際舞台で赤っ恥をかいたということだとトクヨは言います。

まわりの記者たちも、「そうだそうだ!」と賛同しヤジを飛ばす者もいました。

 

「金栗選手は負けとらんったい!」

叫んだのはスヤでした。

「42キロ、日本人で初めて完走ばしたとでしょうが!
16位ばってん、うちにとっては大勝利!
金メダルったい!」

 

嘉納治五郎の決意

報告会の後、永井は野口とトクヨに、アントワープで聞いた治五郎の言葉を伝えます。

「会長職を辞する決心をした。
私も古い人間だからね」

50年後、100年後の日本選手たちが今と変わらずスポーツを楽しんでくれていることを望むと、治五郎は永井に語りました。

 

これが世界の女性!?

すっかり傷心の四三は、オリンピック後ヨーロッパの国をさまよい、ベルリンにたどり着いていました。

選手として全盛期だった4年前、金メダルを期待されながら戦争のためにオリンピックが中止になり、挑戦することすらかなわなかった夢の桧舞台です。

 

スタジアム近くの広場で今後の身の振り方を考えていると、突然足元に槍投げの槍がとんできました。

驚いてしり込みをする四三に、短パン姿のドイツ女性が走ってきて、しきりに四三に謝ります。

そして女性たちは、四三からずっと離れた場所まで駆け戻り、また槍を投げました。

「えっ!?そぎゃんとこから?」

女性の力でこれほどのコリを投げられるもんあのかと、四三は驚愕します。

 

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まとめ

金栗選手にとって、悲願だったアントワープオリンピックは、またもや苦い思い出となってしまったのですねTT

本人もさることながら、何年も別に暮らしてきた妻のスヤや支援してきた池部家や金栗家のことを思うと、金栗さんのチャレンジにはこうして支えてくれた人たちがいたからだとつくずく思います。

だからこそ、スヤの言葉は重い!
(四三!どこに行ってるんだ~・・・スヤの懐の広さに感服)

 

箱根駅伝など、金栗さんの残した功績は、オリンピックを目指した末の副産物だと言えますね。

オリンピックでの苦い経験も、金栗さんのマラソン人生になくてはならないものだったのでしょう。
これは、金栗さんの生涯を通して証明されていきます。

 

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