2019年 いだてん

【いだてん】第11話「百年の孤独」あらすじネタバレ感想~短距離は100年早い!?~

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ようやく嘉納先生も合流し、歴史に残る日本人初のオリンピック参加の日がやってきました!

今でこそ、「今回のオリンピックで日本は何個金メダルを獲れるだろう」と、いとも簡単に話題にされますよね。

でも、こうした先人たちの想像もつかない苦難の連続で、今の日本スポーツがあるのだと思うとオリンピックの味方も変わってきますね。

 

さてこの第11話、いよいよストックホルムオリンピックが開幕します!

まず最初に登場するのは、短距離走に出場する三島弥彦(生田斗真)選手。

 

日本では無敗の痛快男子・三島弥彦が、経験する挫折と苦悩。

「高すぎる世界の壁に、弥彦はどのような気持ちで挑んだのか・・・」

これが第11話での最大の見どころです!

 

この記事では、「いだてん」第11話「百年の孤独」のあらすじをまとめています。
(※ネタバレあります!)

 

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大河ドラマ「いだてん」放送情報

 

「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~」

第11回「百年の孤独」3月17日放送

  • 放送:2019年1月6日より(全47回)
    ◆放送◆
    日曜日【総合】夜8時【BSプレミアム】午後6時【BS4K】午前9時
    ◆再放送◆
    土曜日【総合】午後1時5分日曜日【BS4K】午前8時
  • 作:宮藤官九郎
  • 音楽大友良英

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第11回「百年の孤独」あらすじ(ネタバレ注意!)

ストックホルムオリンピックの記録

昭和35年(1960年)、東京都知事室では、東京オリンピック組織委員会事務総長の田畑政治(阿部サダヲ)、都知事の東龍太郎(松重豊)、常任委員の岩田幸彰(松坂桃李)が、顔をそろえています。

1964年に決定した東京オリンピックの記録映画を製作するにあたり、総監督はあの黒澤明氏に決定していました。

その黒澤氏の依頼で、1912年ストックホルムオリンピックの記録映画がみたいというものでした。

ホコリを被ったフィルムには、日本がはじめて参加したオリンピックの記録が残されています。
そして記録映画もまた、ストックホルムオリンピックから始まったものでした。

 

プラカードの文字はどうする?

開会式のプラカードに国名をどう表記するか・・・
オリンピック当日にプラカードを持つ四三は、「日本(にっぽん)」でなければ出場しない断言します。

大森(竹野内豊)は「西洋人に漢字は読めないだから、読めなきゃ意味がない」といい、さらに弥彦(生田斗真)も「初参加の日本は、JAPANが無難だろう」といいます。

しかし四三は断固として譲りません。

 

「どうした??日本を出る時にはみんな仲良くやっていたじゃないか」
ただならぬ空気を感じた治五郎(役所広司)は尋ねます。

「あんたのせいだよ!
12秒12秒12秒・・・
あんたが記録の事ばかり言うから、俺は一度押しつぶされたんだ!

今頃着て勝手なことばかり言いなさんなよ、嘉納さんよぉ!!!」

治五郎の胸倉につかみかかった弥彦ですが、そこはさすがの嘉納先生、柔道の投げ技で弥彦を簡単に投げ飛ばします。

 

「『日本』でなければ辞退します。
すいまっせん、俺は頑固な肥後もっこすだけん」

すると、弥彦も四三に賛同し始めます。
「金栗くんと僕は戦友だ、国の名前が違えば共に戦うことはできません」

 

四三は、自分のこれまでを皆に語って聞かせます。

故郷の九州を離れて上京し、東京から大陸を渡って1ヶ月。
くじけそうになるたびに、日本の・・・熊本の人々、東京高師の面々の顔を思い出して乗り越えてきました。

「俺はJAPAN人じゃなか、日本人です」

 

すると黙って聞いていた治五郎が、突如立ち上がって叫んだ。

「頼もしい!」

最初は、自分の到着が遅れたせいで、皆の気持ちがバラバラになったのかと思ったがそうではない・・・。
互いに認め合っているからこそ、意見をぶつけ合えるのだと治五郎は言います。

「これぞ相互理解。
私の不在が、君たちに成長を促した。
遅れてきて、大正解!」

そういって笑う治五郎に、内田公使が尋ねます。

「それで・・・プラカードは・・・?」

 

「うん!双方一理」

 

いざオリンピック開会式へ


明治45(1912)年7月6日、開会式当日は風ひとつない快晴でした。
スタジアム横の広場には、初参加の日本を含め、28か国、3000人の代表が入場行進のために集まっていました。

日の丸を胸に、ロッカールームからいざ出ようとする四三と弥彦は、握手をして互いの健闘を誓い合います。

 

イギリス、ロシア、アメリカの選手団は100人を優にが、日本は四三と弥彦の二人に治五郎と大森を加えてもたったの4人。

そこで治五郎が呼び寄せたのが、京都帝国大学からベルリンに留学中の田島錦治(ベンガル)でした。
また、ダニエルも「遠目には分からないから」と行進に加わります。

安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)はカメラ係として観客席から観覧することになっていました。

 

田島はプラカードを見上げ言います。
「なんだね、これは・・・
JAPANじゃないのかね?
イタリアの「I」の次だぞ」

 

午前10時30分。
アルファベット順に整列した各国の選手団が、スタンドを埋める二万人の拍手に迎えられて入場行進を始めます。

スタジアムに入ってくる二人に、安仁子が観客席から声援を送ります。

四三はプラカードを、弥彦は国旗を持って行進します。

『NIPPON』

プラカードには、大文字で「NIPPON」と書かれていました。

 

残された僅かな記録

昭和35年、都知事室では、ストックホルムオリンピックの記録映画で開会式の映像を見ながら、日本の出番を待ちます。

イタリアが映り、その後方に「NIPPON」の文字が見えます。
「来た来た~!」

その瞬間、画面が変わり通り過ぎる三島弥彦選手と日本選手団が移ったかと思えば、一瞬で過ぎ去ってしまいました。

 

日本人が初めてオリンピックに出場した歴史的瞬間は、たったこれだけしか残っていません。

四三に関しては画面から外れ、公式の写真も日本国旗の影になってしまっていました。

公式写真(引用:Wikipedia)

 

一方、安仁子が撮った写真は、弥彦が映っていなかったのでした。

引用:Wikipedia

 

高まる緊張

開会式が終わると、いよいよ弥彦が出場する100メートル走の予選が始まりした。
スタートから離れた席から、一同は弥彦の姿を探します。

レースを控えた弥彦はロッカールームで緊張と戦っていました。
スタジアムから聞こえる号砲が聞こえるたびに、その緊張感は高まっていきます。

 

三島家に届いた絵葉書

その頃、東京の三島邸には、3週間前に弥彦が投函した絵葉書が届いていました。
シマは、弥太郎と和歌子を前にそれを読み上げた。

「拝啓、シマよ・・・
俺はもう何もかも嫌になった。
戦意喪失、西洋人の脅威におびえるばかりで、とても走る気になれぬ。

母上、兄上、これが最後の便りになるかもしれません。
短い人生でしたが弥彦は・・・」

 

「敵はタイム、ライバルは同士」

スタジアムのロッカールームでは、鬼気迫る表情の弥彦に大森が声をかけていました。

「三島君、たった一人で戦争を仕掛けようって顔だな。

短距離はタイムを競う競技だ。
つまり敵はタイムのみ・・・
一緒に走る選手のことは、ライバルではなくタイムという同じ敵に立ち向かう同士と思いたまえ」

 

弥彦がロッカールームを見渡すと、それぞれ緊張と戦う各国の選手たちがいました。

「ありがとうございます、監督」

弥彦は、もっと早く、せめて3週間早く言ってくれれば・・・と、家族にあてた葉書のことを思います。

 

わが子の心は分かる


和歌子がシマの手から絵葉書を取り上げると・・・

「わっはっは、心配せんでよか。
『弥彦は勝ちます、薩摩隼人の底力、見せてやります』
そう書いてあるじゃろが」

和歌子は笑い飛ばして絵葉書を懐にしまう。

「字など読めなくとも息子の本心は分かります!
弥彦は必ず勝つ!」

 

三島弥彦の100メートル走

「これが最後の便りになるかもしれません。
弥彦は三島家の誇りのために、命を賭します」

弥彦は5人の選手とともにスタートラインに並びます。

 

号砲とともに弥彦がスタートを切ります。
しかし、弥彦はすぐにほかの選手に引き離され、結果は最下位。

1位の選手からは10メートル以上の差をつけられてのゴールでした。

 

ゴールした弥彦に大森か駆け寄ります。
その姿を、四三は双眼鏡で見ていました。

大森が測っていたストップウォッチをかかげると、弥彦はみるみる笑顔になり、二人で抱き合って喜んでいました。

 

四三と治五郎、安仁子がロッカールームに行くと、レース後の弥彦が笑顔で駆け寄ってきす。

「自分の最高記録を出したんだから、成功だと思っています」

弥彦の記録は11秒8。
100メートル走で12秒を切ったのは初めてでした。

 

四三と弥彦も抱き合って健闘を讃えます。

「金栗君、日本人にはやはり短距離は無理のようだ。
君にかかっている、頼んだぞ」

この言葉の意味が、四三にはよく理解できませんでした。

 

この日を境に、大森氏の病状は悪化していきます。

 

孝蔵、初高座へ

4日後に弥彦は200メートル走の予選にも出場。
しかし結果はやはり惨敗でした。

 

それが日本の新聞で報じられている頃、孝蔵(森山未来)円喬(松尾スズキ)から7月の下席で初高座に上がることになったと知らされて慌てていた。

「でも、まだ小咄(こばなし)ひとつも伺ってねえですのに」
「できるよ、君には“何か”あるから」

それ以上は何の助言ももらえず、孝蔵は神社の境内で一人、円喬の所作を真似てみることしかできませんでした。

 

焦るあまり酒を飲んでいた孝蔵に、車夫の清さん(峯田和伸)が声を掛けます。
「小梅を誘って見に行くから、今度はしくじんなよ」

 

気を鎮めるための押し花

昭和の志ん生・・・
「何事も初めてってものは、いらぬ力が入っちまうもので、
酒を飲むやつもいれば、こんなことするやつもいて・・・」

 


四三は自分の出場する日をまえに、ホテルの部屋で押し花をしていました。

心配した治五郎は、外に出て北欧の空気を吸って元気を出せといいます。

四三は花の匂いを嗅ぎながらいいます。

「午前中、スタジアムばのぞきに行きました。
大歓声ば聞いとると、あん旗竿に日の丸ば挙げんといかんと思って焦って、モヤモヤして・・・
気ば鎮めるため押し花ば、しとります」

 

それを聞いた治五郎は、オリンピックにでることで四三が過重の責任を負うことは一切ない、国民の期待など考えずのびのびと走るようにと声を掛けました。

 

生死を賭けたラザロの練習

その後、大森の容体は悪化し、マラソンの本番が近づく中、四三は一人でトレーニングに励みます。

スウェーデンの夏は暑く四三が休んでいると、その横をポルトガルのマラソン選手であるラザロが走っていました。

四三はラザロに声をかけますが、必死に走っているラザロは気づきません。
その時、四三はいつかロッカールームで大森から聞いた言葉を思いだします。
「負けたら切腹らしい」

 

これは「プレッシャー!?」

四三は練習を終え、明日に控えた400メートル走の激励に弥彦の部屋を尋ねました。

「実に楽しみだねえ」
弥彦は晴れ晴れとした笑顔で言います。

 

四三は弥彦に、『日本人にはやはり短距離は無理のようだ』という言葉の真意を尋ねます。

「見ただろ、僕のレース。完敗だよ。
日本では無敗の僕が、100も200も最下位、圧倒的敗北さ。
明日も勝てるとは思っていない。
でも、楽しみだ。

明日も走れることが僕は楽しいよ・・・
こうなったら徹底的に負けてやるさ」

笑顔の弥彦に、四三は胸を内を明かします。

「俺はダメです。
ずっとこう・・・モヤモヤした何かが・・・居座っとるとです」

 

それを西洋人はプレッシャーと呼ぶのだと弥彦は教えた。

「プレッシャー・・・
西洋人も持っとるとですか、これば」

モヤモヤの正体さえ分かれば、もう怖くはないと四三は笑顔を見せました。

 

晴れやかな棄権

翌日、400メートル走予選で、四三は病気の大森に代わって弥彦のコーチ役を任されました。

レース前に弥彦からカメラを渡され、走る姿を正面から撮影してほしいと頼まれます。
四三はカメラを持ち、ゴール付近で待ち構えていました。

 

いざ予選が始まって弥彦がスタートラインに並ぶと、選手は2人だけでした。
エントリーしていた5人のうち3人が直前で危険したのです。

予選通過は2位まで。
完走すれば準決勝に進むことができるレースでした。

 

号砲が轟き、弥彦は見事なスタートダッシュで大きくリードしました。
しかし徐々に距離を詰められ、レース中盤で追い抜かれてしまいます。
それでも弥彦は最後まで全力で駆け抜けました。

四三はシャッターを切るのも忘れ、ゴールして倒れ込んでいる弥彦に駆け寄ります。

 

弥彦の記録は56秒。
羽田の予選決勝での記録を3秒以上も速いタイムでした。

観客席から駆け下りてきた治五郎も、弥彦の力走に興奮していました。

「三島君、よくやった!
準決勝へ進むとは大したもんだ、日本スポーツの記念すべき日だ」

 

だが弥彦は、荒い息で棄権を申し出ました。

「日本人には短距離は無理です。
100年たっても無理です。
もう十分・・・走りました、察してください」

悔いはないという弥彦の言葉を聞いて、治五郎はその決断を受け入れました。

 

四三が弥彦に尋ねます。

「楽しかったですか?」

弥彦は笑顔で大きくうなずきました。

 

マラソン競技当日の朝

マラソン競技当日の朝、いつものように四三は運河の水で冷水浴をしていました。

そこに弥彦がやってきて調子はどうかと尋ねます。
四三は白夜とプレッシャーでよく眠れなかったといいます。

 

そんな四三を見ていた弥彦でしたが、突如裸になり一緒になって冷水浴を始めました。

「三島さん、400メートル、見事な走りでした。
俺も三島さんのように、笑ってゴールします!
それだけは決まってます!」

四三は固く決意しました。

「今日も暑いぞ~!」
そういって二人は再び冷水浴を始めました。

 

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まとめ

まさしく歴史の1ページの幕開け、といった回でしたね。

この第11回では、まずは出番が最初に回ってきた短距離走の三島弥彦選手です。
それはそれは大きな重圧だったでしょうね。

三島弥彦の場合、その重圧は日の丸どうのこうのというよりも、「痛快男子・三島弥彦」としてのプライドとの戦いだったのではないかと感じるんです。

日本では向かうところ敵なしの弥彦。
ところが、日本を出れば遠く及ばない世界の壁がある・・・

これを現地に行くまで知らなかったわけですから、現地についてからの衝撃はいかばかりかと思うわけです。

 

絶対に負けるレース。
できれば、レースに出ずに棄権したかったかもしれませんよね。

それでも、三島選手の出した答えは、負けても「日本の一歩」となることでした。

 

アメリカ代表選手が100メートル決勝で出した記録は10秒8。
結局、弥彦は1秒以上の差を付けられて負けてしまったわけですが、

「日本人には短距離は100年早い」

日本では無敗の痛快男子・三島弥彦でこの結果だったわけですから、実際に口にしたと言われるこの言葉も納得。

 

それでも、これはまさしく日本の短距離のスタートです!

 

2008年北京オリンピックで男子400メートルリレーで、日本は初めてトラック競技でメダルを獲得します。

三島弥彦がスタートを切ってから96年。
約100年の歴史をかけて世界と肩を並べるまでに成長してきたことを思うと、鳥肌が立ちます。

 

さて、
次回はいよいよ四三が出場するマラソンです!
さらなる波乱の幕開けですよ~!

 

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