2019年 いだてん

大河ドラマ【いだてん】第2回「坊っちゃん」あらすじ(ネタバレ)凄すぎる!四三少年を変えたものとは?

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今や代表的な日本の国民的スポーツとなった柔道。

現代の形になった柔道の創始者であり、日本スポーツの父と呼べれが嘉納治五郎が、1912年に開催されるストックホルムオリンピックへ日本の初出場に尽力するところから始まった大河ドラマ「いだてん」。

33年ぶりの近現代史ということで期待度が未知だった第1回は、視聴率15.5%とまずまずの好発進でしたね。

 

さて、第2回からはいよいよ、主人公・金栗四三の物語に突入します!

人生をマラソンに掛けた金栗四三の生い立ちを知ることができる第2回、四三を取り巻く家族や、のちに妻となる綾瀬はるかさん演じるスヤとの出会いなどは見逃せません!

 

この記事では、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の第2回「坊っちゃん」のあらすじをまとめています。
ネタバレが含まれますので注意してくださいね♪

 

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大河ドラマ「いだてん」基本情報


「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~」

  • 放送予定:2019年1月6日より(全47回)
    ◆放送◆
    日曜日
    【総合】夜8時
    【BSプレミアム】午後6時
    【BS4K】午前9時
    ◆再放送◆
    土曜日
    【総合】午後1時5分
    日曜日
    【BS4K】午前8時
  • 作:宮藤官九郎
  • 音楽大友良英
  • 制作統括:訓覇 圭、清水拓哉
  • プロデューサー:岡本伸三、吉岡和彦(プロモーション)
  • 演出井上 剛、西村武五郎、一木正恵、大根 仁

 

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第2回「坊っちゃん」あらすじ(ネタバレ注意!)

それでは大河ドラマ「いだてん」第2話「坊っちゃん」のあらすじをまとめていきます。
ネタバレになりますのでご注意を!

会話など細かい部分は、放送後追記していきたいと思います♪

 

前回の終わり・・・

1912年に開催されるストックホルムオリンピックの予選会。
マラソン競技において優勝したのは、当時東京高師に通う無名の青年・金栗四三(中村勘九郎)でした。

四三の記録は当時の世界記録を27分も縮め、すい星のごとく現れた、日本初のオリンピック選手。

いよいよ韋駄天・金栗四三のお話の始まりです。

 

金栗四三誕生!

金栗四三は、明治24年(1891)8月20日、熊本県玉名郡春富村に生まれました。

四三の父であり金栗家の家長・金栗信彦(田口トモロヲ)は、病弱で家業の酒蔵を六代で潰してしまいます。

とはいえ、子宝には恵まれ、妻のシエ(宮崎美子)との間に四男三女をもうけました。
7人兄弟の下から2番目、それがが金栗四三です。

「四三」・・・その名は父・信彦が43歳のときに生まれたことから名づけられました。

 

美濃部孝蔵(のちの志ん生)誕生

遡ること1年前(明治23年6月5日)。
東京神田では、のちの古今亭志ん生(美濃部孝蔵)が誕生していました。

「親孝行して、蔵の一つでも建ててくれよ~」

 

病弱だった幼少期

四三は父に似て、赤ん坊の頃から病弱でした。

祖母のスマは、病気で寝込む信彦を前にして幼い四三に言います。
「じーちゃんは偉かったばい。働きもんだったけんなあ。
あーたが父ちゃんが体が弱かけん、蔵ば潰さした。
だけ、あーたが建て直さな。
そんためには丈夫にならんといかんばい!」

それを聞いて涙する信彦に、ちょうど訪れていた医者が声をかけます。
「心配せんでもよか。
胃弱は重曹水ば飲んどきゃ、良うなりますけん」

さらにこう続けました。

嘉納先生も子どもの頃には、体の弱か子だったそうです」

 

嘉納治五郎、熊本で校長に就任

明治24年、四三が生まれたこの年。
若き日の嘉納治五郎(役所広司)は、熊本にいました。

講道館柔道の創始者であり、のちに東洋初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となる嘉納治五郎は、熊本の第五高等中学校(現・熊本大学)の校長に就任していました。

五高は名門校で、部下の教授にはギリシャ人の小説家・小泉八雲や夏目漱石がいました。

 

病弱な四三のための願掛け

明治29年(1896)、金栗家の朝食の席。
四三の祖母・スマ(大方斐紗子)が言います。

「熊本で嘉納先生(しぇんしぇー)の柔道が見れるらしかばい・・・」

武道家としても教育者としても有名だった嘉納治五郎に会えるとあってスマは、
「嘉納先生に抱っこしてもらえば、丈夫な子に育つばい」と言います。

 

これに対し「そんなことは迷信だ」と、長兄で役場勤務である実次(中村獅童)は取り合おうとしません。

「四三も嘉納先生に抱っこしてもろたら、丈夫になるとだろか」
体の小さく弱い四三を案じる母のシエも、すがるような思いを口にします。

 

とはいえ、「遠くて誰もいけない、うちには畑仕事がある」という実次の言葉はもっともでした。

ところが四三を熊本に連れていくと言い出したのは、父・信彦でした。

そして四三は父の重曹水を持ち、父と二人で五熊本の五高を目指すことになったのです。

 

金栗親子、嘉納治五郎に会いに行く

四三たちが暮らす春富村から熊本市までは、十里(約40㎞)という長い道のりでした。

四三にとっては初めての父との遠出。
不安と期待でいっぱいでした。

ところが当然のごとく、信彦はすぐ疲れて足を止めてしまいます。
重曹水を飲み苦しそうにしている父を見ながら、先ほどの期待などすぐになくなりました。

 

途中、「ここが田原坂たい」。
信彦は、かつて西南戦争のため、ここで3000人が犠牲となったと語り始めます。

金栗家にも官軍が来たが、
「父ちゃん体は弱かったけれど、ご先祖様の刀を命がけで守った」
と当時の体験を話します。

 

やっとの思いで五高に到着したものの、治五郎が稽古する道場には、外まで見物人が溢れかえっていました。

気の弱い信彦は、人波をかき分けて前に出ることすらできませんでした。

それでも四三だけは近くにいた青年(どうやら夏目漱石らしい!)に抱きかかえられてもらい、なんとか治五郎の後頭部だけ見ることができたのです。

嘉納先生に抱いてもらうことなど、とてもできない状態に、肩を落としながら信彦と四三は帰路につきます。

 

帰宅した四三に、早速スマがたずねます。

「四三、嘉納先生には会えたとか?」

すると戸惑う四三が答えるより先に、信彦が口をはさみます。

「そのために行ったけんが、
なあ四三、嘉納先生に抱っこばしてもろたけん、
もう大丈夫たい!」

その言葉で笑顔になった家族を前に、四三は口をつぐみました。

 

恐怖の学校部屋

翌年、四三は尋常小学校に入学します。
相変わらず病弱で、気も小さい少年でした。

ゆえに小学校への道のりは険しく、兄たちについていくことができません。
しまいには学校に行くことをあきらめ、家に戻ってくることもしばしば。

 

それを兄に見つかると、お仕置きのため「学校部屋」と呼ばれる2畳ほどの部屋に閉じ込められました。
「ここで勉強すっとか!走っとか!」

四三は泣きながら再び学校へ向かうのでした。

 

【関連記事】今も残されている「学校部屋」
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四三、運命を変える大発見!

ある日、実次の妻・キヨメの出産をきっかけに、四三はその後の運命を大きく変える大発見をします。

お産の際、キヨメがやっていたのが規則的な呼吸でした。
苦しさや痛みを軽減させるこの呼吸法をシエが教えていたのです。

 

さっそく四三は、学校まで山道を駆け上がりながら、いろいろな呼吸法を試してみました。
病弱だった四三にとって、家と学校を往復する山道は苦しいものでした。

そしてその結果、「スッスー、ハッハー」と2回ずつ吸って吐くという呼吸法をあみだし、これがいちばん苦しくない事がわかったのです。

この呼吸法のおかげで四三は、玉名北高等小学校に進学してからも、往復三里(約12㎞)の道のりを韋駄天のごとき速さで“走って”通学することができたのです。

 

仲間は四三のことをこう言います。
「とつけむにゃあ(とんでもない)男ばい」

 

孝蔵 槍で追いかけられる

四三が「いだてん通学」をしている一方で、美濃部孝蔵は尋常小学校をとうの昔に退学になっていました。
10歳の頃から酒に博打といった悪童ぶりでした。

孝蔵の父親は警察官。

ある日、金に困った孝蔵は父親の大事にしていたキセルを質屋に売ってしまいます。

父親は怒りのあまり、を手に孝蔵を追いかけたのです。

 

運命の人スヤとの出会い

明治38年(1905)3月、父・信彦が血を吐き倒れてしまいます。
四三は、かかりつけである春野医師を呼びに行きました。

その時、玄関先に出てきたのが、娘の春野スヤでした。

四三はすぐに家路を急ぎます。
すると、夕暮れの坂道を走る四三のあとを、スヤが追いかけてきます。

「かーなーくーりーさーん!」

手に持った提灯を見せ
「危ないけん、これよかったら使ってー!」
と次の瞬間、スヤは転倒してしまいます。

その拍子に怪我をしてしまったスヤ。
そんなスヤを、四三はおぶって家まで走り続けたのです。

 

父の遺言

その頃、金栗家では父・信彦が余命いくばくもない状況でした。
そんな中、実次は四三の将来を期待し、上の学校に行かせたいという願いを父に話します。

「そりゃあそうたい・・・
なんせ四三は嘉納先生に抱っこばしてもろたけん・・・

生きろ、四三・・・父ちゃんの分まで走れ・・・」

 

この日信彦は、四三が戻らないうちにこの世を去りました。

帰宅した四三に母は言います。

「体だけは丈夫でなって、父ちゃん言いなったばい」
「嘉納先生に抱っこばしてもろたけんって」

それを聞いた四三は、実次に真実を話そうとします。
しかし、実次は「なんも言うな!」と一蹴します。

四三の目には涙が溢れていました。

 

海軍兵学校受験を決意する

この年(明治38年)、四三(中村勘九郎)は玉名中学校に進学しました。

生まれ育った家を離れ、寄宿舎生活を始めた四三。
しかし週に一度は、実家までの五里(約20㎞)の道のりを走って帰ったのです。

玉名中学校の頃の四三少年

 

ある日、歓迎してくれる家族を前に四三は、海軍兵学校を受験したいと話します。

海軍兵学校なら授業料はかからず、卒業後は将校になれます。
信彦の死後、父親代わりとなっていた兄・実次も、この四三の決意を認めました。

 

以後、四三は海軍兵学校の試験に向け、切磋琢磨する日々を過ごします。

学力には自信があるものの、まずは最初に行われる身体検査に通らなくてはなりません。

風をひきやすかった四三は、中学の漢文の教師・五条先生から予防法を教わります。
その予防法とは、裸で頭から水をかぶる「冷水浴」

 

最初は何回かぶるかもわからず、とにかく冷水を浴び・・・。
その結果、風邪をひきました。

“とつけむにゃあ”

それでも四三は毎朝の習慣としてこれを続けたのです。

 

自分のためか、国民のためか・・・

そして、海軍兵学校の身体検査が行われました。
結果は、想像を超える厳正なものでした。

帰り道に、四三が橋の上から川を眺めていると、自転車に乗った春野スヤが大きな声で歌いながら通りかかります。

「会いたかばってん 会われんたい
たった一目でよかばってん
あの山一丁超すとしゃが・・・」

スヤは四三を見つけると、自転車を降り駆け寄ってきます。

 

「金栗さん!父から聞いたとですよ。
今度、海軍兵学校ば受けるて」

四三は、先ほどスヤが歌っていた唄は何かとたずねます。
スヤは「自転車節」を歌って聞かせますが、おもむろに四三の口から出た言葉に絶句します。

・・・「落ちました」・・・

四三は目の検査で不合格になっていたのです。

 

四三はスヤに、自分が生まれながらにして体が弱いのだから仕方がないといいます。

スヤは、「ばってん、将来四三さんの奥様になる方は喜びなさるのでは?」
軍人になればお国のために戦わなくてなならず、戦争にならなければ手柄も立てられないから出世は難しい・・・
どっちにしても奥様は報われないと、女性の心をのぞかせるのでした。

 

四三は、スヤが尚炯女学校に通うお嬢様であることを知ります。

四三は、
「みんなの期待ば背負うて海軍ば受けたばってん・・・
合わせる顔のなかです」

すると、スヤが意外な言葉を口にします。

「丈夫ならそれでよかたい!
丈夫な体ば、お国のために使うか、自分のために使うか・・・
決めるとは四三さんたい、自由ったい!」

 

その言葉を聞いた四三は言います。

「そぎゃんたいなあ!
丈夫でん病弱でん、俺の体は俺のもんたい!」

 

帰り道、四三はスヤがこぐ自転車を押しながら、スヤに教わった歌を一緒に歌います。

「ちりりんちりりんと出てくるは
自転車乗りの時間借り・・・」

それは当時の流行歌「ハイカラ節」の替え歌で、「自転車節」という曲でした。

 

美濃部孝蔵(古今亭志ん生)運命の出会い

その頃東京・吉原では、美濃部孝蔵(森山未来)芸者遊びを楽しんでいました。
勘定を出し渋り、なんとかごまかそうと知り合いの遊女・小梅(橋本愛)のもとへ。

そのまま逃げ込んだ場所が寄席でした。
孝蔵はここで、ある人物と運命的な出会いを果たします。

 

この日の寄席は、名人とうたわれをる落語家・橘家円喬(たちばなかえんきょう)が高座に上がっていたのです。

そこでの円喬の「付き馬」※という噺にすっかり魅了された孝蔵は、彼の弟子になろうと決意します。

 

※「付き馬」・・・勘定の足りない客の家までついていって、金を取り立てる若い衆の話。

 

四三を動かす嘉納治五郎の名

一方、海軍兵学校への道が絶たれた四三は、中学の級友・美川秀信と会っていました。
そこで四三は、美川が東京高等師範学校を受験すると聞かされます。

美川から渡された雑誌「教育」・・・、四三は何げなくページを開きます。
するとそこには、四三が良く知る人物の名前を見つけます。

“嘉納治五郎”

「知っとるとね?
東京高師の校長ばい」

美川の言葉に、四三は衝撃を受けます。

 

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まとめ

病弱だった四三を日本で初めてのオリンピック選手にしたのは、なんといっても四三に「丈夫に育ってほしいという家族の願い」のたまものですよね~。

家族の反対もあったなか、病弱な父自らが四三を遠く離れた嘉納治五郎のもとに連れて行ったというのにも、父の責任というか四三に対する申し訳ないという思いが感じ取れて、グッときてしまいます。

しかもその距離、40㎞ってすごくないですか?
道も今ほど整っていなかったでしょうし、現代では考えられないことです。

さらに往復12㎞の山道を走って通学って!!!
四三の「走ること」との出会いは、現代の常識をはるかに越えるものだったんですね!

さて、いよいよ四三の人生を大きく変える、嘉納治五郎のもとへ!
「マラソン競技」との出会いはどのようなものだったのか、期待を大きくして待ちたいと思います!

 

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