昭和のカリスマ的存在だった萩原健一さんの逝去は衝撃であり、一時代の終わりさえ感じてとても寂しい思いです。
現代では考えられない萩原さんの破天荒ぶりは、散々叩かれはしたけれど、それが彼の魅力だったことには違いないですよね。
しみじみ萩原さんの存在の大きさを感じるのであります。
しかし!
ここにきて、萩原さんが大河ドラマ『いだてん』の撮影をしていたと報道されました。
独特の世界観でこだわり抜いた萩原さんの俳優人生・・・
そんな萩原さんが『いだてん』の脚本を読んだとき、面白いと絶賛してオファーを受けたと言います。
闘病中にも関わらず、エネルギッシュな演技を見せたという萩原健一さんの出演は、我々大河ファンにとって嬉しい贈り物となりました。
萩原健一さんが演じているのは、明治、大正、昭和初期にかけて、大蔵大臣や内閣総理大臣を歴任した高橋是清。
この記事では、萩原さん演じる高橋是清とはどのような人物なのかをまとめています。
【関連記事】再放送&動画配信情報はこちら。
☞【いだてん】再放送&見逃したときの超おすすめ動画配信サービス視聴方法!
この記事の内容
萩原健一さん『いだてん』出演の経緯
萩原健一さんは、大河ドラマ「いだてん」で、政治記者である田畑が取材する大蔵大臣・高橋是清 役でご登場いただきます。主な出演シーンはすでに収録を終えられていました。ご出演に感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/v92kpiHNmV
— 大河ドラマ「いだてん」 (@nhk_td_idaten) 2019年3月29日
萩原さんといえば、相次ぐ不祥事で芸能界を行ったり来たり・・・
NHK大河には意外なキャスティングのように感じますが、実は萩原さんは過去にも3本の大河ドラマに出演しています。
◆萩原健一さんが出演した大河ドラマ◆
『太平記』(1991年)
『元禄繚乱』(1999年)
『利家とまつ』(2002年)
また、近年の萩原さんはNHKとの関りも深く、2018年3月にはドラマ『どこにもない国』に出演しています。
NHK側も昨今のショーケンさんのNHKへの貢献度を考え出演をオファーしたそうです。
「御本人と連絡をとったところ“話が聞きたい。今すぐ自宅に来てくれ”と。
打ち合わせといえばテレビ局や所属事務所の会議室で行うのが普通ですが……ご自宅で宮藤官九郎さんの脚本を読み、“おもしろい!”と快諾してくれたそうです。“最近はあまり外を出歩いていないから”と、スタッフを自宅に呼んだそうですが、この頃から体調は良くなかったのでしょう」(NHK関係者)
萩原さん演じる高橋是清とはどんな人物?
萩原さんの遺作となってしまった大河ドラマ『いだてん』。
その中で萩原さんはどのような役を演じているのでしょうか。
明治から昭和にかけて内閣総理大臣・大蔵大臣を歴任
高橋是清(引用:Wikipedia)
高橋是清は、仙台藩士であり、のちに明治・大正・昭和時代初期にかけて大蔵大臣や内閣総理大臣を歴任した政治家です。
財政家であったことが知られており、内閣総理大臣としてよりも、大蔵大臣としての評価の方が高く、実際に大蔵大臣には5期就任しています。
◆高橋是清 主な職歴◆
- 貴族院議員(1905年1月29日 - 1924年3月24日)
- 第16代 大蔵大臣(1913年2月20日 - 1914年4月16日)
- 第21代 大蔵大臣(1918年9月29日 - 1922年6月12日)
- 第20代 内閣総理大臣(1921年11月13日 - 1922年6月12日)
- 衆議院議員(1924年5月10日 - 1928年1月21日)
- 初代 農林大臣(1925年4月1日 - 1925年4月17日)
初代 商工大臣(農相兼任) - 第33代 大蔵大臣(1934年11月27日 - 1936年2月26日)
- 内閣総理大臣臨時兼任(1932年5月16日 - 1932年5月26日)
- 第31代大蔵大臣(1931年12月13日 - 1934年7月8日)
- 第28代大蔵大臣(1927年4月20日 - 1927年6月2日)
『いだてん』に登場する高橋是清
1912年、金栗四三と三島弥彦が日本人で初めて参加したストックホルムオリンピックから16年後・・・
大河ドラマ『いだてん』の主人公は、中村勘九郎さん演じる金栗四三から阿部サダヲさん演じる田畑政治へと移っていきます。
ショーケンさん演じる高橋是清は、この田畑政治と深い関りを持つ人物です。
時空を超えて #四三 と同じ羽田の空を見上げる男たち。
1964東京招致チームも久々の登場 ✨
📺#いだてん 第6回「#お江戸日本橋」本日[総合]夜8:00 pic.twitter.com/FBvSBPylcj— 大河ドラマ「いだてん」 (@nhk_td_idaten) 2019年2月10日
そもそも、田畑政治ってどんな人?って思いますよね。
田畑政治は、長きに渡って日本水泳連盟会長を務めた他、1964年東京オリンピックの招致活動におけるキーマンの一人です。
田畑は東京帝国大学を卒業後、1924年に朝日新聞社(東京朝日新聞)に入社します。
その後、政治経済部長などを務めたことから、若くして政治家との繋がりが深く、大変可愛がられていたようです。
この時、大蔵大臣を務めていたのが高橋是清です。
ショーケンさんが登場する『いだてん』第25回は、田畑からアムステルダムオリンピックへの選手派遣に、国から補助金を出すよう直談判を受けるという重要な役柄です。
アムステルダムオリンピックは1928年ですから、田畑が新聞社に入社してまだ日も浅い頃だったことがわかります。
この間にも、日本は関東大震災に見舞われ、さらには今後、世界戦争へと発展していく厳しい情勢の中で、日本政府がどれほどオリンピックに関心を持っていただろう・・・というのは興味深いところ。
「田畑政治のコネと人柄、高橋是清の財政家としての判断」
このあたりが、このシーンの見どころとなるのではないかと思います。
高橋是清の生涯(略歴)
1854年(嘉永7年)9月19日、幕府御用絵師・川村庄右衛門(47歳)、きん(16歳)の子として江戸芝中門前町(現在の東京都港区芝大門)え生まれます。
生後まもなく、仙台藩の足軽・高橋覚治の養子となります。
その後、アメリカ人医師ヘボンの私塾であるヘボン塾(現・明治学院大学)に入塾。
1867年(慶応3年)に藩命により海外へと留学します。
この時のメンバーには、勝海舟の息子・小鹿もいました。
1868年(明治元年)に帰国。
1873年(明治6年)サンフランシスコで知遇を得た森有礼に薦められて文部省に入省。
その後も、英語の教師としても教鞭をとりながら、文部省、農商務省(現・経済産業省および農林水産省)の官僚としても活躍しました。
1892年(明治25年)、帰国した後に川田小一郎に声をかけられ、日本銀行に入行。
1905年(明治38年)、貴族院議員に勅選。
1911年(明治44年)には日銀総裁に就任します。
1913年(大正2年)、第1次山本内閣の大蔵大臣に就任、この時立憲政友会に入党します。
1918年(大正7年)9月、原内閣の大蔵大臣に就任(2度目)。
1921年、財政政策の手腕を評価され第20代内閣総理大臣に就任。
同時に立憲政友会の第4代総裁となります。
しかし、自身としては前首相である原敬暗殺後の思わぬ総裁就任であり、混乱する政友会を立て直すことはできませんでした。
そして、閣内不統一の結果、内閣は半年で瓦解しています。
1924年、 加藤高明内閣の農商務大臣に就任。
1927年、世界恐慌が始まりまると、田中義一内閣において3度目の大蔵大臣に就任します。
3週間の支払猶予を認める緊急勅令渙発と大量の紙幣増発で恐慌を沈静化させます。
1931年(昭和6年)、犬養内閣の大蔵大臣に4度目の就任。
翌年の斎藤内閣、1934年の岡田内閣でも留任し、大蔵大臣を計6度歴任しました。
1936年、「二・二六事件」において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに撃たれ暗殺されました。
享年83(満81歳没)。
晩年の高橋是清(葉山の別荘にて)
(引用:Wikipedia)
これまでに高橋是清を演じた俳優一覧
- 岡譲司:映画『高橋是清自伝』(1936年)※青年・壮年期
- 山本嘉一:同上、※老年期
- 国広富之:TBSドラマ『熱い嵐』(1979年)※青年期
- 森繁久彌:同上※壮年期
- 入江正夫:NHK大河ドラマ『山河燃ゆ』(1984年)
- 金子達:映画『スパイ・ゾルゲ』(2003年)
- 神山繁:テレビ朝日『落日燃ゆ』(2009年)
- 西田敏行 - NHK『坂の上の雲』(2009年-2011年)
- オダギリジョー:NHK『経世済民の男』(2015年)
- 萩原健一:NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(2019年)
まとめ
萩原健一さんが演じる大河ドラマ『いだてん』に登場する高橋是清を通して、当時のスポーツに対する考え方や、日本が抱えていた財政問題を知ることができます。
1873年に文部省に入省してから、「二・二六事件」で銃弾に倒れるまでの63年間。
長きに渡り日本の財政に大きく関わった高橋是清。
病気と闘いながら最後まで俳優として駆け抜けた萩原さんの最後の作品となったということで、深く記憶に刻まれる大河ドラマ『いだてん』になりそうですね。
改めて、萩原健一さんのご冥福をお祈りいたします。
【関連記事】再放送&動画配信情報はこちら。
☞【いだてん】再放送&見逃したときの超おすすめ動画配信サービス視聴方法!