2019年 いだてん

大河ドラマ『いだてん』生田斗真演じるスーパーエリート三島弥彦のアスリート人生とは?

更新日:

2019年NHK大河ドラマ「いだてん」で三島弥彦役を演じる生田斗真さん。

この三島弥彦を演じるにあたり、
「お茶の間の皆さんに恥ずかしくない体作りを目指して頑張りたいです」
と意気込みを語っています。

さて、生田斗真さんが役のために体づくりを必要とする三島弥彦とは・・・

父は警視総監、
裕福な家庭で育ち、
東京帝国大学(現在の東京大学)の学生というトップエリートでありながら、
あらゆるスポーツにも秀いで「運動会の覇王」と呼ばれたという・・・

なんだか凄すぎる人物!

この記事では、金栗四三と共に日本人で初めてオリンピックに出場した三島弥彦についてまとめています。

 

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「運動会の覇王」三島弥彦の生い立ち

三島弥彦(引用:Wikipedia)

三島弥彦は、1886年2月23日東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)で
第5代警視総監だった父・三島通庸の末子として生まれます。

兄は銀行家の三島弥太郎です。

父は元薩摩藩士の警視総監

弥彦が2歳のとき、父・三島通庸(みしま みちつね)は他界していますが、もとは薩摩藩士であったこの父の経歴も凄いんです!

「西郷どん」でも登場したあの精忠組の一員として、寺田屋事件にも関与しています。
この事件で通庸は謹慎を命じられますが、のちに西郷隆盛の取り立てで藩に仕えます。

明治以降も東京府参事や銀座煉瓦街建設の大任を果たし、明治政府の一員として活躍しています。

父・三島通庸(引用:Wikipedia)

そんな父の功績もあり、三島弥彦は生活に不自由することなく育ちました。
ましてや通庸が52歳の時の子どもですから、官僚にまでなった父を持つ、たいそうなおぼっちゃまだったわけです。

 

恵まれた体格と運動能力

当時、成人男性の平均身長は155㎝前後だったといいます。
にも関わらず、弥彦の身長は170㎝を越えていました。
体格の面で大変恵まれていたといえますね。

 

また、その資質は父親からも譲りうけていました。

先述の通り、父親の三島通庸はもと第5代警視総監。
その時、武芸を振興していた通庸は、武術家を警視庁武術世話掛に採用しました。
こうして警視庁の武術は大きく飛躍し、「警視庁武術の功労者」といわれています。

弥彦はこうした父親の姿を通して、スポーツに対する理解を深めていったと思われます。

 

あらゆるスポーツに秀でた才能

弥彦は学習院を経て東京帝国大学(現在の東京大学)に進学します。
そんなトップエリートでありながら、弥彦のスポーツ歴が凄いです!

学習院時代には野球部でエース兼主将
ボート部では一軍選手
東大時代にはスキー術

その他にも
柔道二段
乗馬
相撲
スケート

また、選手としてだけでなく早慶戦では審判も多く務めています。

弥彦がこれほど様々なスポーツをすることができたのも、家が裕福だったからに他ならないでしょう。
特に乗馬やスキーなどはお金持ちのスポーツでしたから・・・

ただ、弥彦の場合、それに加えて持ち前の運動神経を兼ねそなえていました。

 

スポーツ好き団体「天狗倶楽部」

1909年(明治42年)頃、大の野球好きだった冒険小説家の押川春浪(「いだてん」では武井壮さん)を中心に自然発生的にできあがったのが「天狗倶楽部」です。

野球の試合が行われたのが始まりでしたが、相撲・テニス・柔道、陸上競技、ボート競技など様々で、メンバーの中にはその世界で名を成す人もいました。

三島弥彦もその中の一人でした。

天狗倶楽部(引用:Wikipedia)

1911年(明治44年)弥彦が陸上競技に夢中になりつつあった頃、スウェーデンのストックホルムで開催されるオリンピックの代表選手を決める予選会が行われました。

その会場となった羽田運動場は、「天狗倶楽部」の尽力によってできた日本初のスポーツ競技会場です。

このときの中心人物・中沢臨川を「いだてん」では近藤公園さんが演じます。

 

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三島弥彦のオリンピック出場と転身

飛び入り参加でオリンピック代表に!

当初、三島弥彦はこのオリムピック予選会に、審判委員として来場するよう要請されていました。
結局弥彦はこの要請には応じませんでした。

しかし、もともとスポーツ好きだった弥彦は外野で観戦しようと出かけたのです。

 

本人いわく、

「生来の好戦癖はムクムクと起って、到底ジッとして傍観しては居られぬ。久しく練習も絶えていたけれども、兎にも角にも交はって走って見やう」。

なんと予選選考会に飛び入り参加してしまいます!

そして100m、400m、800mで第一位、200mで第二位という高成績をおさめたのです。

 

ほかに予選会で好成績をおさめたのは、

立高跳び優勝の後藤欣一
立幅跳び優勝の泉谷祐勝(「天狗倶楽部」メンバー)
走幅跳び優勝の霜田守三
などでした。

しかし、当時の日本には選手を幾人も抱えてストックホルムまで行けるほどの予算はありませんでした。

そして、最終的にオリンピック選手に選ばれたのが、マラソン及び10000mの金栗四三と、短距離走も三島弥彦だったのです。

 

スポーツへの概念がなかった時代

日本では、スポーツに対する理解も十分ではありませんでした。

このころの日本は、現在のようなスポーツの概念が定着していませんでした。
こと陸上競技に関しては、「かけっこ」と娯楽の一貫でもあるような言われ方さえしたのです。

 

また、文部省からは欧米人のスポーツショーに派遣されると誤解されていたようです。

理解を得られないことに苦しみつつ、学友や帝大総長の後押し予定されていた卒業試験を延期し、オリンピック出場を決めました。

 

ストックホルムオリンピックでは旗手を!

1912年(明治45年)、家族や天狗倶楽部、東京倶楽部(慶応義塾大学野球部OB会)のメンバーらの見送りで、新橋駅からいよいよストックホルムへ出発しました。

そして7月6日、ストックホルムオリンピックが開幕。
弥彦は旗手として開会式に参加しました。

ストックホルムオリンピック開会式
(旗手は三島弥彦、「NIPPON」のプラカードを持っているのが金栗四三です。)

 

日本人記者は、わずか2名という少ない人数で出場したことで群衆の同情を引いたと報じています。

現在でもオリンピックに出場する国の中には、出場選手が一人二人といったスポーツに対し発展途上な国がありますね。
開会式でそのような国を目にするとがんばって欲しいと心から思います。

いまでこそ大選手団を誇る日本ですが、このような歴史があったことを思い、改めて先駆者のおかげだと感じます。

 

世界を思い知ったオリンピック

開会式当日、弥彦はさっそく最初の100mの予選に参加します。
そこではいきなりトップと1秒以上の差をつけられて敗退

この結果にすっかり意気消沈した弥彦は金栗四三に、
「金栗君、日本人にはやはり短距離は無理なようだ」と語ったそうです。

 

その後、200m予選では最下位。
400m予選はアメリカの選手が棄権したことで見事準決勝進出の権利を得ますが、足の痛みが激しく棄権してしまいます。

近年の資料によると、この時の棄権の理由を「精神的肉体的困憊」「勝機無しと見たため」と揚げるものが多くありますが、真相は「本人のみぞ知る」です。

 

ベルリンでの雪辱を誓うも・・・

競技を終えると、嘉納団長や金栗四三と4年後のベルリン大会での雪辱を誓い合います。
閉会式を待たず出国した彼らは、ドイツに向かい次大会の会場を視察します。

この時、日本ではまだ知られていない砲丸といったスポーツ用品を購入し帰国の途につきます。

ところが、そのベルリン大会は第一次世界大戦で中止となってしまいます。

 

金融業界への転身

中断期間を経て開催される1920年のアントワープ大会。

さすがに8年のブランクは大きく、予選会にも姿を見せなかった弥彦。
この頃すでにオリンピックに出場できる肉体を失っていたためか、精神的に気持ちが大会に向かわなかったかは不明です。

が、金栗と違って弥彦の競技は短距離走です。
短距離走がいかに肉体ありきかというのは、われわれにも理解できるところです。

 

とはいうものの、ストックホルムオリンピック出場の翌年、帝大を卒業した弥彦は兄・彌太郎のいる横浜正金銀行に入行します。

大学卒業以降はスポーツ界から退き、1954年に死去するまでほとんどメディアに登場しなかったそうです。

 

金栗四三とは別の道を

金栗四三(ストックホルムオリンピック)
引用:Wikipedia

金栗四三と三島弥彦・・・
「いだてん」の登場人物であり、日本人で初めてオリンピックに参加した二人ですが、その後の人生は大きく違います。

マラソンとスポーツ振興に人生をかけた金栗四三と、金融業界へ転身した三島弥彦とは何が違ったのでしょうか?

 

大きな違い一つとして、二人の育ってきた環境の違いがあげられるでしょう。

「道具がいらないから」という理由で陸上を始め、マラソン足袋を駆使して参戦した金栗四三に比べ、三島弥彦は裕福な家庭に生まれ何不自由なくスポーツを楽しめる環境にありました。

育ちの良さからか、弥彦はスポーツマンにしてはおっとりしていたといいます。

 

しかし人間・三島弥彦は、楽天家で陽気、度量の大きい些事に無頓着なあくまでも鷹揚な人であると、天狗倶楽部の中心人物・押川春浪は評しています。

また、学生や若者から人気が高かったことから、その人柄が伺えますね。

 

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三島弥彦役を演じる生田斗真さんのコメント

「いだてん」で三島弥彦演じる生田斗真さんのコメントがこちら・・・

こうやって大河ドラマの制作発表の場に立たせていただくと、本当になんというか、代表選手に選ばれたような気持ちでいっぱいでございます。
脚本の宮藤官九郎さんとは映画や舞台やドラマなど、たくさんの作品を一緒につくってきましたが、裸にさせられることが多くて(笑)。
今回も裸になる予定がございます。
お茶の間の皆さんに恥ずかしくない体作りを目指して、来年からの撮影を頑張りたいと思います。

 

スーパーエリート三島弥彦の躍進挫折・・・
弥彦の人柄も含め、生田斗真さんがどのように演じるのか楽しみですね!

 

まとめ

三島弥彦という人を知ると、やはりストックホルムでの大敗は、彼をスポーツから遠ざけてしまった原因の一つではないかと思えてしまいます。

そうはいっても舞台は、オリンピックという世界の大会です。
日本人として初めての一歩を踏み出す大変さはいかばかりか・・・
きっと日本代表としてのプレッシャーもあったことでしょう!

 

その後の歩みがどうであれ、世界の壁を最初に体験したのはこの三島弥彦です。

島国日本では、ほんの飛び入りで代表になってしまうほどのスーパーアスリート弥彦が世界を前に受けた屈辱は、今日世界で活躍するアスリートたちの先陣であり、世界と対等に戦えるまでになった日本スポーツの歴史の第一歩であることに違いはありません。

 

この大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、そんな知られざる日本の歴史を学ぶ良い機会ですね。
オリンピックの味方が変わってくるのではないでしょうか^^

 

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