2018年 西郷どん

ものすごい人なのですよ!山岡鉄舟(鉄太郎)【西郷どん】キャストは藤本隆宏さん

更新日:

2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」。

第36回「慶喜の首」では西郷隆盛率いる討幕軍の江戸総攻撃の中止を願い出る交渉役となった山岡鉄舟(鉄太郎)が登場しましたね。

 

藤本隆宏さんという素晴らしいキャスティングにだっただけに、もう少し山岡鉄舟という人物をクローズアップしてほしかった!もう少し見ごたえが欲しかったな~などと個人的に感じています。

この命と引き換えに!
っていやいや・・・
実際の山岡鉄舟は確かに命がけではありましたが、もっと理路整然と考えを述べ西郷隆盛を納得させたんです。
しかもいたく感銘を受けた西郷は、慶喜の命の保証までするんです!

 

討幕軍の江戸城総攻撃によって江戸を戦火から救った「江戸城無血開城」はまさしく山岡鉄舟の功績です。

 

しかも、幕府や新政府のためだけではなく、のちの西郷隆盛にも大きな存在となった人物です。

極端だと“おしかり”を受けるかもしれませんが、西郷隆盛が今でも明治維新の英雄として名を上げられるのは、この山岡鉄舟がいたからこそではないかとさえ思っています。

 

この記事では、勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される、山岡鉄舟がどのような人物なのかをまとめています。

 

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貧しくも武芸に励んだ青春時代

山岡鉄舟
(引用:Wikipedia)

1836年、山岡鉄舟は江戸の旗本の家に生まれます。
西郷隆盛の9歳年下です。
武芸を重んじる家だったため、幼い時から剣術を学びます。

9歳の時には飛騨群代となった父に従い、幼少期を飛騨高山で過ごしました。
そこで弘法大師流入木道(じゅぼくどう)51世の岩佐一亭にを学びます。

 

鉄舟が16歳のとき、父が他界。
それに伴い鉄舟は江戸に帰ります。

しかし、10代で両親を亡くした鉄舟は貧しい暮らしにあえいでいました。

 

そんな中でも鉄舟は、武術や書に励み、父からの勧めであったの修行も始めました。
このころは千葉周作に剣術、山岡静山に忍心流槍術を学びます。

 

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ついたあだ名は「襤褸(ぼろてつ)鉄」

鉄舟が20歳のとき、別の旗本の家に婿入りします。
ところが役職はなく、収入はほぼ0だったといいます。

その生活は生半可なものではなく、
1ヶ月の半分は食事なし!
衣服も畳さえも売り払ってしまうという壮絶な暮らしぶりでした。

 

それを物語る話があります。

ある日、友人が鉄舟を訪ねると、妻が襖(ふすま)から顔だけ出して応対したんだそうです。
なにせ服が1着しかなかったので、選択している間は裸で過ごすしかなかったのです。

しまいには、襤褸鉄(ぼろてつ)と呼ばれるのです。

 

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誇れるものは剣術!

どんなに貧しくても剣の技術を磨くことだけはやめませんでした。
これにもまた、中途半端ではない鉄舟の一本槍や性格が伺える逸話が・・・

鉄舟は剣術に明け暮れるあまり、1日に200試合こなしたこともるそうです。
1試合3分で10時間ですから、まず普通では考えられませんね。

それどころかです!

それでも飽き足らずに、江戸中の道場に飛び込んで手当たり次第試合を申し込んだというのですからこれはもう超人のレベルを超えていますね!

とうとうついたあだ名が「鬼鉄」です

 

鬼鉄は血気盛んな若者のカリスマ!なのに・・・

「鬼鉄」と呼ばれた鉄舟ですから、一部の若物からは憧れの存在だったことが伺えます。

鉄舟のもとには、力で世の中を変えてやると意気込む血気盛んな若者たちが集まってきたのです。
ところが、このことが鉄舟を窮地に追いこむことになてしまいます。

 

この若者たちの過激な行動の責任を、鉄舟が負うこととなってしまったのです。

鉄舟は謹慎。
28歳のときでした。

 

この時、38歳の西郷隆盛は流刑となっていた島から召還され、京で軍賊役となり「禁門の変」に参戦していたころです。

鉄舟は、剣術で磨いてきた己の身体と心をいかすことができず、悶々とした日々を送っていたのでした。

 

それでもなお剣術に励み、禅の修行にも打ち込みながら日本の情勢を静かに見ていたといいます。

鉄舟の弟子が残した回想録には、その頃の鉄舟の言葉が記録されています。

「討幕だの、佐幕(幕府を助ける)だのと
言っている時機じやない
必要なのは挙国一致だ!」

挙国一致とはその字のごとく「一致団結して国の危機に対応すべきである」という鉄舟の考え方です。

鉄舟は力だけでなく、情勢を見据える冷静な心も持ち合わせていたといえます。

 

鉄舟の目から見た江戸時代終焉の舞台裏

徳川慶喜
引用:Wikipedia

1868年鳥羽伏見の戦い。
この戦いに敗れた幕府軍を率いていた徳川慶喜は江戸へと逃げ帰りました。

大阪城から逃げかえった徳川慶喜を護衛するために新たに設立された精鋭帯歩兵頭格として呼ばれたのが山岡鉄舟でした。

 

江戸へ逃げた慶喜を追うように、西郷隆盛率いる討幕軍は東に進撃を開始。
ついに江戸総攻撃を3月15日と決定したのです。

これに対し徳川慶喜は恭順(討幕軍に抵抗せず従うこと)を決意します。

 

慶喜は恭順を伝える使者を再三にわたり送り込みます。
しかし、討幕軍はこれを無視!
江戸への進軍を続けたのです。

 

江戸総攻撃まであと10日となった慶應4年(1868年)3月5日、西郷率いる討幕軍は駿府まできていました。

どうにも立ち行かなくなった幕府軍。

 

そしてついに!

必ず恭順の意を伝えてくれる人物として慶喜が選んだのが、当時慶喜の護衛を務めていた鉄舟でした。

 

「あの時、討幕軍と徳川の関係は途絶えていた。
徳川のおもだった者たちは、なすすべがなく日々焦心にかられ苦慮するばかりだった、
そんな時、俺は慶喜様に会った。」
~鉄舟の回想録より~

鉄舟は大役を引き受ける前に慶喜に対し、恭順の意志が本物かどうかを確認したといいます。

いまだ戦力をもつ幕府が、討幕軍を罠にかけるのではないかと危惧したためです。

慶喜は、「恭順の意思に偽りはない」といい、
「絶対にだまし討ちはしないが、朝廷の敵という汚名着せられていることが悔しい」
涙を流されたといいます。

「落涙セラレタリ」
~鉄舟の回想録より~

これに対し鉄舟の反応は、

「何ヲ弱キツマラヌヲ申サルゝ」
(なぜそのような弱気でつまらぬことを言われるのでしょう)

鉄舟は慶喜を一喝したと言います。

それと同時に鉄舟は、幕府の運命を背負う命がけの交渉役を決意したのでした。

 

ただならぬ男気ゆえか!?

鉄舟はいったん家に帰り、ご飯を猛烈な勢いでかきこんで食べました。
そして「ちょっと出てくる」といつも通り妻に声をかけ、いざ交渉の舞台に出かけていきました。

妻には、もしや今生の別れになるかもしれない大仕事に出かけるということは一切言わなかったそうです。

 

また、この時の鉄舟は、刀がないほど困窮していたため、親友の関口艮輔に大小刀を借りて官軍の陣営に向かったといいます。

「俺は西郷のいる駿府に急いだ。
川崎の辺りですでに討幕軍の先鋒隊が到達し、左右に銃を持った兵が並んでいた」
~鉄舟の回想録より~

敵陣へ向かった鉄舟が、敵兵と遭遇しとった行動・・・

それはなんと「悠然と真っただ中を進んでいくこと」だったんです!
なんという男気!

「その中央を通った。
止める者はいなかった。」
~鉄舟の回想録より~

 

ピンチを切り抜ける運も持っていた!

間もなく駿府にたどり着く・・・
そんな鉄舟に思わぬ大ピンチが訪れます。

討幕軍の兵が、鉄舟を怪しく思い発砲し追いかけてきました。

 

鉄舟は当時茶屋だった家の戸をたたき助けを求めました。
寝ていた家主が何事かと戸を開けると、転がりこむようにして入ってきたと言います。

するとその家の主は、家の奥にある蔵の隠し階段から裏の出口へと案内します。
その出口は海に面しており、鉄舟はここから船で駿府に向かったと伝えられています。

茶屋にはあとから兵たちがやってきて、家中を槍でついて探し回ったそうです。

鉄舟は運さえも見方についていたのです。

 

西郷を動かした交渉術

西郷・山岡会見の史跡碑(静岡市葵区)
引用:Wikipedia

その後4日間、ひたすら進み続けてようやく駿府にたどり着きました。
鉄舟は、早速西郷に面会を求めます。

西郷から見れば、鉄舟は無名の下級役人です。
今まで同様、まったく相手にされず門前払いされる可能性もあったわけです。

 

しかし、運命に導かれるかのように西郷が姿を現しました。

鉄舟が口火を切った交渉は、のちにこのように書き記されています。

「西郷先生、あるじの徳川慶喜は恭順の意を込め謹慎しております。
先生は戦いの意を望まれ、是も非もなく人を殺そうとされるのですか。
まず、戦うことが正しいかどうかを明らかにすべきでしょう」

 

西郷は、一切の迷いなく真正面からぶつかってきた鉄舟に誠実さを感じました。

「これまで徳川家から使者の方が来られたが、皆ただ畏れかしこまるばかりで一向に筋道が見えませんでした。
山岡先生がこられたおかげで、江戸の事情が良くわかりました。」

 

こう言うと西郷は、攻撃を中止するための5つの条件を示します。

一、江戸城を明け渡すこと
一、江戸城にいる人々を移動させること
一、武器をわたすこと
一、軍艦を渡すこと
一、徳川慶喜を岡山藩に預けること

これらを飲まないと江戸が戦火に包まれる・・・
普通の人間であれば考える余地もないことかもしれません。

 

しかし鉄舟は違いました。

それは最後の一箇条についてです。まっすぐな思いを突きつけます

「徳川慶喜を(幕府と敵対する)岡山藩に預けることは(危険であり)承服できない」

 

当時の岡山藩は幕府と敵対しており、慶喜を危険にさらすことはできないと、まっすぐな思いを突きつけます。

しかしここは西郷も譲りません。

「されど朝命(天皇の命令)でごあす」

鉄舟はなおも屈せず、たとえ朝命と言えども断じて承服できないと反論します。

それどころか西郷に「もしもあなたが私と同じ目に遭ったら、忠誠を誓った主君島津公をだまって差し出すのか」と問いただしたと言います。

 

これにはさすがの西郷も、「山岡先生の説もっともでごあす」と、この条件を撤回したのです。

しかも、慶喜の身の安全は自分が責任を持つとさえ言ったのです。

 

3月14日、江戸総攻撃を翌日に控えたこの日、西郷と鉄舟の話し合いは終了。
江戸総攻撃は中止となったのです。

 

響き合う西郷と鉄舟

息詰まる議論が終わると、西郷は命を賭けて交渉にやってきた鉄舟をねぎらい酒に誘ったといいます。

西郷自身も、できることなら大勢の人が犠牲になることは避けたいと思っており、江戸総攻撃は苦肉の策だったといいます。

時代のうねりの中で、まっすぐ過ぎる二人は大きく響き合ったのです!

 

このあと江戸に到着した西郷と、勝海舟との会談によって江戸無血開城が実現。
こうしてほぼ西郷と鉄舟が交わした条件で和平が成立したのです。

引用:Wikipedia

この会談は西郷にとっては敵地でした。
鉄舟は会談のあいだ中、西郷の警護にあたったといわれています。

鉄舟がこの時の心境をこう記しています。

「不慮ノ変アルトキハ西郷氏ト共ニ死セン・・・」
(不慮の事態が起こった時は西郷と共に死ぬ覚悟であった)

 

明治天皇の教育係に!

明治維新後、鉄舟は徳川家達に従い駿府に下がります。

明治4年の廃藩置県に伴って、新政府に出仕。
静岡県権大参事、茨城県参事、伊万里県権令を歴任しました。

 

一方、このころ新政府の中心的人物である西郷隆盛が重要視していたのは、20歳の明治天皇を強いリーダーに育成することでした。

宮中にいる古いしきたりの天皇ではなく、新しい天皇にしていかねばならない・・・新しい国の在り方にはこれが必要不可欠であると考えたのです。

西郷たちは、宮中で公家や女間に囲まれて暮らしていた明治天皇に政治の表舞台に立ってもらおうと奮闘します。

しかし、天皇の業務を決めようとすると宮中の女官たちは「しきたりに反する」と猛反対。

これに対し西郷は、制度や伝統に縛られない人間が宮中に入る必要があると考えます。

 

そして明治5年(1872年)、当時剣の修行に明け暮れていた鉄舟のもとを西郷が訪れたのです。

西郷は鉄舟に、若き天皇の教育係として宮中に入ってほしいと頼みます。

鉄舟という男が、たとえ天皇であろうとも媚びへつらうことなく堂々と正しいと思うことを実行できる人間であると見込んでの頼みでした。

 

その年の6月、鉄舟は正式に明治天皇の侍従に任命され宮中に入ります。

鉄舟の遠慮のない教育は、西郷の期待に応えるばかりか数々の逸話となって伝えられています。

 

逸話①天皇をお説教

酒好きで力の強い明治天皇は、酔うと誰かれ構わず力任せに相撲を取るので周囲の人間は生傷が絶えませんでした。

明治天皇は鉄舟にも飛びかかります。
すると鉄舟はこれをひらりと交わし天皇を押さえつけると、これまでの乱暴なふるまいをコンコンと説教をしたのです。

しかも、説教を終えると鉄舟はふいっと自宅に帰ってしまったのです。

 

天皇に対する前代未聞の行為に周囲は大騒ぎ。

しかし明治天皇は、酒も相撲もやめるから戻ってきてほしいといさぎよく反省し、鉄舟を呼び戻したといわれています。

 

逸話②あんぱんヒットの立役者

甘党だった鉄舟は、当時できたばかりのあんぱんが大好物でした。

さっそくあんぱんを天皇に進呈。
すると天皇もこのあんぱんを大変気に入ったといいます。

明治天皇にあんぱんが献上されたのは明治8年4月4日。
献上されたのは木村屋の酒種桜あんぱん。
あんぱんは明治天皇のお気に召し、ことのほか皇后陛下(昭憲皇太后)のお口にあった。
そして「引き続き納めるように」と両陛下のお言葉を頂いた。
献上の世話役、鉄舟こと山岡鉄太郎侍従の表情もゆるんだという。
引用:銀座木村屋総本店ホームページ

 

このことが世間に広まりあんぱんは大ヒット。
まだそれほど知られていなかったパンそのものの普及にもつながったのです。

鉄舟が木村屋に寄贈した看板
(引用:Wikipedia)

老舗木村屋の看板は鉄舟の揮毫によるものでした。
残念ながら本物は関東大震災のとき焼失してしまったようです。

 

逸話③●鉄舟のサーベルがお守り

ある時、天皇を守る近衛兵が武装蜂起するという事件が起きました。
鉄舟は誰よりも早く天皇の寝室に駆けつけ、騒ぎの間中つききりで護衛したといいます。

そのとき鉄舟が携えていたサーベル。
これ以後明治天皇は譲り受け寝室に置き続けたといわれています。

「この刀があれば
朕は山岡と共にいる心地して
心強く思う」
~鉄舟の弟子の回想録より~

 

「一刀正伝無刀流」を開く

明治に入ってからも、鉄舟は一心不乱に剣の道に打ち込みます。

のちに独自の流派「一刀正伝無刀流」を開きました。
その意志は受け継がれ今も活動が続けられています

 

無刀流の木刀は、一般の剣道で使われる竹刀より18㎝短いものを使用します

相手の懐に飛び込む捨て身の覚悟を養うためだそうです。

また無刀流では勝負に勝つことが重要ではありません。
勝ち負けに対する気持ちは相手に隙を与える。
無の心になることで、相手の動きが良く見えるというものです。

 

二人にしかわからない会話

 

このころ政府のかじ取りをしていた西郷隆盛でしたが、朝鮮半島への使節派遣についての意見の相違から政府内で派閥争いが起こっていました。

このころ西郷がひとり酒瓶を携えて鉄舟を訪ねました。

この時も二人は、大いにくつろぎながら、自分たちにしかわからない言葉で日本の行く末を語り合ったと言われています。

「日本の国はまだ寒い
少し熱をかけましょう」

「お考えの通り
外部を温めんとすれば
まず自らでござる」

 

そして明治6年(1873年)、政府内の権力抗争に絶望した西郷は、ついに故郷鹿児島へと帰っていきました。

事態を憂慮した明治天皇は、鉄舟に西郷を連れ戻すよう頼みます。

 

天皇の命を受け、鉄舟は西郷のいる鹿児島を訪れます。
この時、二人が何を語り合ったのかは残念ながら記録に残っていません。

しかし、鉄舟は西郷がもはや政府に戻らない覚悟を決めていることを見抜いたといいます。

これが西郷と鉄舟の最後の別れとなりました。

 

禅によって静かに迎えた臨終

鹿児島での別れから3年、
西郷は明治政府に不満を持つ元武士およそ3万を率い、政府を糾弾するために戦います。
これが西南戦争です。

激しい戦いは半年に及び、日本史上最大の内戦ともいわれています。

戦いに敗れた西郷は城山で自刃。(享年51歳)

 

それから11年後、鉄舟は53歳で死去します。
胃がんにむしばまれながらも座禅を組み、心静かに迎えた臨終だったといわれています。

明治天皇は鉄舟の死を惜しみ、葬列を自ら見送ったといいます。

山岡鉄舟の墓(全生庵・台東区)
(引用:Wikipedia)

 

逸話④政府からの勲章を拒否!

鉄舟は幕末の頃の自分についてあまり人に語らなかっため、江戸総攻撃を巡る西郷とのやり取りも当時はほとんど知られていませんでした。

のちになって明治政府の井上馨が、幕末における鉄舟の功績をたたえ勲章を授与するために訪れます。

 

ところが鉄舟はその名誉を拒否。
さらに「維新のしめくくりは、西郷とおれの二人で当たったのだ」啖呵を切ったといいます。

 

当時の西郷は、政府から反逆者の烙印を押されていたので、西郷の最後が正当に評価されていないというやるせない思いがあったのかもしれませんね。

 

西郷と鉄舟、時代を変えた二人の絆

西郷が残した晩年の記録から、二人の熱い絆が読み取れるといいます。
(作家の山本兼一さん「命もいらず名もいらず」著者)

「命もいらず名もいらず官位も金も要らぬ人は始末に困る
でもこの始末に困る人でなければ苦難を共にして国家の大業はなしえない」
(西郷が教えを記した「南洲扇遺訓」(なんしゅうおういくん))

ここに鉄舟の名前こそ出てこないものの、「始末に困る人」とはまさしく相棒であった鉄舟を示しているであろうといいます。

 

まとめ

幕末のヒーローを語るとき、山岡鉄舟の名前を出す人はそれほど多くないかもしれません。

質素で倹約家。
剣の道を究めながら、人を殺すことなく時代を動かした山岡鉄舟。

命もいらず名もいらず・・・
まさしく武士道の鏡のような鉄舟の生き様は、150年たった今でも私たちの心を熱くしますね。

 

そんな鉄舟をもっと大きく取り上げてほしい!
こう願うファンはたくさんいると思いますね。

というと鉄舟からは「そんなものいらない!」とお叱りを受けるでしょうが・・・^^;

 

大河ドラマ「西郷どん」では、今後も鉄舟が登場するようです。
幕府側の人間がこのドラマでどれだけ描かれるかわかりませんが、鉄舟の功績を知ることは幕末を理解する上でとても重要なことだと改めて感じました。

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