2021年青天を衝け

大河ドラマ『青天を衝け』草彅剛さん演じる徳川慶喜ってどんな人?

更新日:

※この記事はネタバレが含まれます。ご了承ください。

 

2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け』。
日本資本主義の父と呼ばれ、新1万円札の肖像になることも決定している渋沢栄一の生涯が描かれます。

演じるのは吉沢亮さん。
主演としては大河ドラマ史上初の平成生まれだそうです^^

 

そして、このドラマの中で主人公渋沢栄一の運命を大きく変えることになる人物が、徳川家第15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)です。

演じる草彅剛さんは、同じく元SMAPの香取慎吾さんが主演をつとめた『新選組!』(2004年)出演以来2回目の出演です。

 

この記事では、徳川慶喜とはどのような人物なのかを分かりやすく解説しています。

 

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大河ドラマ『青天を衝け』番組概要

 

2021年2月14日(日)スタート!

《本放送》
日曜日
★NHK総合 午後8時~
★BSプレミアム/BS4K 午後6時~

《再放送》
土曜日
★NHK総合 午後1時5分~
(BSの再放送はなくなりました)

作/大森美香
主演/吉沢亮(渋沢栄一)
制作統括/菓子浩、福岡利武
演出/黒崎博、村橋直樹、渡辺哲也、田中健二
音楽/佐藤直紀
題字/杉本博司
プロデューサー/板垣麻衣子
広報プロデューサー/藤原敬久

 

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徳川慶喜とはどんな人物?

1866年(慶応2年)頃 撮影(引用:Wikipedia)

徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は江戸幕府第15代将軍であり、江戸幕府最後の将軍です。

日本史を語る上ではなくてはならない人物ですね。

 

徳川慶喜(とくがわよしのぶ)

  • 生きた時代:江戸時代末期~大正時代
    1837(天保8)年~1913(大正2)年(享年77)
  • 幼名:松平七郎麻呂(まつだいらしちろうまろ)
  • 改名:松平昭致 → 徳川慶喜
  • 通称:一橋慶喜
  • 父:徳川斉昭(水戸藩第9代藩主)
  • 母:吉子女王(有栖川宮織仁親王王女)
  • 養父:徳川昌丸、徳川家茂

 

徳川慶喜の幼年期

徳川慶喜は、1837年(天保8年)江戸・小石川の水戸藩邸にて水戸徳川家9代目藩主・徳川斉昭(大河ドラマ『青天を衝け』演・竹中直人)の七男として生まれました。

その後まもなく、第2代藩主・光圀の教育方針を継承するため、慶喜が生後7か月のときに江戸から水戸に移ります。

 

一橋家を相続

1847年(弘化4年)、第12代将軍・徳川家慶(いえよし)(演:吉幾三)の思召を受け一橋家を相続。
徳川慶喜と名乗るようになります。

のちに第13代将軍となる家慶の子・家定(演:渡辺大知)は、病弱で男子を儲ける見込みがありませんでした。

そこで家慶は、将軍後継者の有力候補として慶喜の名を挙げていたようですが、この頃は老中・阿部正弘(演:大谷亮平)にいさめられ断念していました。

 

将軍継嗣問題

幕末、将軍・家慶が病死すると、当然ながら将軍後継者問題となります。

慶喜を推す一橋派(父・斉昭、阿部正弘、薩摩藩主・島津斉彬)、紀州藩主・徳川慶福を推す南紀派(彦根藩主・井伊直弼(演:岸谷五朗)、家定の生母・本寿院を初めとする大奥)が対立します。

 

その最中、阿部正弘・島津斉彬が相次いで死去し一橋派は勢いを失います。

1858年(安政5年)、大老となった井伊直弼により、将軍継嗣は慶福(家茂)(演: 磯村勇斗)と決定したのです。

 

当の慶喜は、「骨が折れるので将軍に成って失敗するより最初から将軍に成らない方が大いに良い」という主旨の手紙を父に送っています。

 

「安政の大獄」により謹慎

同年、大老・井伊直弼は勅許を得ずに日米修好通商条約を調印。

斉昭らと共に登城し直弼を詰問した慶喜は、1859年安政の大獄により隠居謹慎処分を受けます。

 

固辞し続けるもついに第15代将軍に

1860年(安政7年)、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、慶喜は謹慎を解除され政治の表舞台に復帰します。

1862年(文久6年)、島津久光(演:池田成志)と勅使・大原重徳が薩摩藩兵を伴って江戸に入り、慶喜は将軍後見職に任命させることに成功します。

慶喜は政事総裁職・松平春嶽(演:要潤)とともに文久の改革と呼ばれる幕政改革を行い、京都守護職の設置、参勤交代の緩和などを行いました。

これにより幕臣から恨みを買うことになった慶喜は、後の幕府崩壊、自身の権力喪失の結果を作ることになってしまいます。

 

1864年(元治元年)、慶喜は将軍後見職を辞任。

禁裏御守衛総督に就任し、京都で武田耕雲斎(演:津田寛治)ら水戸藩執行部、鳥取藩主・池田慶徳、岡山藩主・池田茂政(いずれも徳川斉昭の子、慶喜の兄弟)らと提携し、幕府中央から半ば独立した勢力基盤を構築していきます。

 

同年起こった禁門の変では、自ら御所守備軍を指揮。
慶喜は歴代徳川将軍の中で唯一、戦渦の真っ只中で馬にも乗らず敵と切り結んだといいます。

1866年(慶応2年)第二次長州征伐最中、将軍・家茂が大坂城で薨去。
江戸の異論を抑え老中・板倉勝静、小笠原長行より将軍後継者として推され慶喜は固辞し続けるも、同年12月ようやく将軍に就任します。

このとき慶喜ははっきりと開国を指向しており、将軍職就任の受諾は開国体制への本格的な移行を視野に入れたものでした。

 

大政奉還

1867年(慶応3年)大政奉還により、政権を明治天皇に返上します。

通説的見解によれば、慶喜は当時の朝廷に行政能力がないと判断。
列侯会議を主導する形での徳川政権存続を模索していたとされています。

 

江戸城無血開城

新政府軍の江戸総攻撃の前に行なわれた勝海舟と参謀・西郷隆盛(演:博多華丸)との交渉により、江戸城は新政府軍に明け渡されることとなります。

慶喜は在任中に江戸城に入城しなかった唯一の将軍でもあります。

寛永寺大慈院を出た慶喜は水戸へ向かい、弘道館の至善堂にて謹慎。
同年徳川家が駿府に移封されると、駿河の宝台院に移り謹慎しました。

 

これにより、260年続いた徳川幕府は幕を閉じることになります。

以後、幕府制度や征夷大将軍の官職は廃止されたため、慶喜は日本史上最後の征夷大将軍となりました。

 

徳川慶喜の余生

晩年の有爵者大礼服を着た慶喜(引用:Wikipedia)

1869年(明治2年)、戊辰戦争の終結により謹慎を解除された後も、駿府(静岡)に居住し続けた慶喜。
政治的野心は全く持たず、写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲・手裏剣など様々な趣味に没頭する生活を送りました。

旧幕臣の訪問にも、渋沢栄一(演:吉沢亮など一部の人をのぞいて、ほとんど会うことはなかったといいます。

 

1897年(明治30年)東京の巣鴨に居を移します。

その後1901年(明治34年)に小石川区小日向第六天町(現在の文京区春日2丁目)の高台の屋敷に転居。
ここが慶喜終焉の地となります。

 

1902年(明治35年)には公爵となり貴族院議員にも就き、35年振りに政治の表舞台に立ちます。

1910年(明治43年)七男・慶久に家督を譲って貴族院議員を辞職。
隠居した慶喜は再び趣味に没頭する生活をおくります。

 

大正2年(1913年)急性肺炎を併発した感冒のため死去。
享年77(満76歳25日)の生涯でした

 

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『青天を衝け』徳川慶喜を演じるのは草彅剛さん

 

撮影に臨んだ草彅剛さんのコメント

血洗島村の百姓として育った栄一(吉沢亮)と将軍候補の期待を背負う慶喜。
まったく異なる二人が出会うシーンは特に楽しみ♪

渋沢栄一にとっては人生の舵を大きく切るきっかけとなった人物ですし、慶喜にとっても渋沢栄一は晩年まで顔を合わせる数少ない人物の一人となります。

 

このシーンを撮影に臨んだ草彅さんのコメントがこちら。

今日の撮影は栄一(吉沢さん)・喜作(高良さん)と出会い、抱えていた強い思いをぶつけられるシーンでしたが、お二人のエネルギーがビシバシと伝わってくる、とてもいいシーンでした。本当に大河ドラマ始まったなって気持ちでワクワクしています。こうやってお芝居できるのは楽しいので、視聴者の皆さんにも何か温かいものを届けられることができると思います。

 

また、他番組に出演し、大河ドラマ『青天を衝け』について語った際には、時代劇の難しさを語っていました。

「いや~、時代劇の大変さを身に染みて感じるね。台詞回しとかさ」
「やっぱり昔の言葉って難しいんだよ。口が回らないんだよね。何であんな言葉使うんだろうね(笑)」

 

草彅さんが以前出演した大河ドラマ『新選組』で主演した香取慎吾さんからも「言葉の意味が分からない、初めて知る言葉がいっぱい入ってくる」と大変さを共感していました。

 

草彅剛さんに求めた慶喜像とは

今回のドラマ『青天を衝け』の中での徳川慶喜とは、どのような存在なのでしょうか。

 

制作統括の菓子浩さんがキャスティングの際に求めたのは「カリスマ性」だったと言います。

 

「言葉少なくても、何を考えているのかも分からなくても、その人物の物語を引っ張ってこられるようなカリスマ性のある役者さんということで、ぜひ草なぎさんに演じていただきたいと思いました」

 

草彅剛さんが演じる慶喜に対しても好感触のようです。

「慶喜は時として、冷たいように見えますけど、竹中直人さん演じる父・徳川斉昭への思いがあったり、そんな複雑な心の機微を見事に表現していただいています。また、矢を射る姿など一つ一つの所作がとても美しいですね」

 

アクの強いバディも見どころ

慶喜の側近、平岡円四郎(ひらおかえんしろう)を演じるのが堤真一さんです。

不甲斐ない生活を送っていた円四郎ですが、縁あって慶喜の小姓となります。
慶喜からの信頼も厚く、用心にまで昇進します。

 

渋沢栄一の人生は、徳川慶喜によって大きく変わりますが、そのきっかけとなったのが円四郎との出会いです。

 

草彅剛さん演じる一見冷たいように見える慶喜と、人情味あふれる堤真一さん演じる平岡円四郎。
悪の強いこのバディも、ドラマの中の見どころの一つのようです。

 

初共演となるの吉沢亮さんのコメント

主人公の渋沢栄一を演じる吉沢亮さんと草彅剛さんは今回が初共演

吉澤亮さんは草彅さんの印象を次のように語っています。

佇まいや草なぎさんが持っていらっしゃるオーラにはすごいものがあります。

出会いのシーンの撮影では、こちらが一方的に熱量をぶつけるのですが、草なぎさん演じる慶喜の存在感に負けないようにと思い、より熱量が上がりました。

 

草彅剛さんプロフィール

くさなぎ・つよし

別名:チョナン・カン
生年月日:1974年7月9日
出生地:愛媛県西宇和郡三瓶町(現・西予市)
出身地:埼玉県春日部市
身長:170 cm
血液型:A型
事務所:株式会社CULEN

 

略歴

◆1987年ジャニーズ事務所に入所(中学1年生)

◆1988年SMAPのメンバーに選ばれ活動開始
高校(堀越高等学校芸能活動コース)には自宅から片道2時間かけ通学。
3年間無遅刻無欠席で皆勤賞で卒業した。

◆1997年主演連続ドラマ『いいひと。』で「ドラマアカデミー賞 主演男優賞」を受賞

◆2001年4月、『チョナン・カン』が放送開始され、これを機に韓国進出

◆2003年主演映画『黄泉がえり』が異例のロングランヒット
同年放送の主演ドラマ『僕の生きる道』もあわせ、「ATP賞 個人賞」受賞。
『僕の生きる道』では「ドラマアカデミー賞 主演男優賞」「TV LIFE 年間ドラマ大賞2003 主演男優賞」を受賞している。

◆2009年不祥事により約1か月間芸能活動を自粛するも、復帰後多くのドラマ、CM、映画に主演している。

同年9月公開の主演映画『BALLAD 名もなき恋のうた』では「第52回ブルーリボン賞主演男優賞」にノミネートされた。

◆2017年9月9日、稲垣吾郎、香取慎吾とともにジャニーズ事務所を退所
同年9月22日、稲垣、香取と共同で公式ファンサイトを開設。
10月16日本格始動と同時に新事務所「CULEN(カレン)」所属となることを発表。

◆同年11月より動画共有サイト・YouTubeに自身のチャンネル「ユーチューバー 草彅チャンネル」を開設し、動画配信活動も開始。

◆2020年12月30日、一般女性と結婚したことを所属事務所を通じて明らかにした。

 

大河で徳川慶喜を演じた歴代俳優

徳川慶喜は60作ある過去の大河ドラマの中の12作品に登場します。
それぞれ、演じた俳優さんがこちら。

 

作品名 放送年 演じた俳優
竜馬がゆく 1968年 初代 尾上辰之助
勝海舟 1974年 津川雅彦
花神 1977年 伊藤孝雄
飛ぶが如く 1990年 三田村邦彦
徳川慶喜 1998年 本木雅弘
新選組! 2004年 今井朋彦
篤姫 2008年 平岳大
龍馬伝 2010年 田中哲司
八重の桜 2013年 小泉孝太郎
花燃ゆ 2015年 森慎太郎
西郷どん 2018年 松田翔太
青天を衝け 2021年 草彅剛

 

 

まとめ

「もう一人の主人公」とも言われる徳川慶喜が、渋沢栄一の人生にどのように関わってくるのかはドラマの大きな見どころです。

クールな表情で馬に乗る徳川慶喜を演じる草彅剛さん。
制作側が求める「カリスマ性」をいかんなく発揮してくださいませ!

 

 

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